東京高等裁判所 昭和37年(う)2381号 判決
被告人 宮川基
〔抄 録〕
弁護人は、被告人には殺意がなかつたと主張するが、原判決の「殺意を認定した理由」中にかかげてある各証拠を総合すれば、原判決が詳細に説明しているように、被告人が、長部重明を背重つて歩行していた長部美代子に自車前部を衝突させ、同女を地面に押し倒し、同女の腰部を右自動車のフロントアクスルないし前車軸下方に引掛けて引摺つたため、自動車は、その摩擦抵抗のため、徐徐に減速して左に旋回し約一七米進行した際には殆んど停車しそうになつたこと、被告人が、その頃附近に居た人達の怒号等異常な騒ぎから事故がかなり重大なものであると推測してその現場から逃走しようと企て、加速進行状態に入つたこと、その直後頃、左側の運転台の扉が開き自動車の前方下方から女性の呻声が聞え、運転操作に異常さを知覚して車体の下に何か物体を引掛けているように感じ、また、夫守一が自車運転台左側扉につかまり、「停めろ。停めろ。」と叫んでいること等から、ことによると同女が車体の下に引掛つているかも知れず、このような状態で運転を継続して進行すればあるいは同女を死に到らしめるかも知れないと認識したが、恐怖の念もあつて唯一途に現場から逃走しようとの考を起し、自己が逃走するためにはたとえ同女を死亡するに至らしめても止むを得ないというように認容し、あえて時速約三〇粁に加速進行したところ、相当距離走行した後、蛇行進によつて自動車のフロントアクスルないし前車軸に引掛つていた美代子の腰部が抜けて、同所に同女の上腕部附近が引掛るに至つたものであることを認めることができ被告人が美代子に対して未必の殺意をもつていたことが認められ、所論に副う原審公判廷における被告人の供述は右各証拠に対比してにわかに信用することができない。つぎに、弁護人は、被害者長部重明が衝突後約二〇米進行した後に至つて死亡したとの証拠はなく、従つて、被告人が殺意を生じたと言われているほぼそれ以後の被告人の行為と右重明の死との間には殺人行為としての因果関係の存在についての証明がないと主張するが、人を殺害する意思をもつて、これに暴行を加え、因つて人を殺害した結果を惹起した以上はたとえその殺害の結果が犯人において毫も意識せざりし客体の上に生じたときといえども暴行と殺害との間に因果の関係が存することが明白な以上犯人において殺人既遂の罪責を負うべきこともちろんであり(昭和八年(れ)第八三一号同年八月三〇日大審院第三刑事部判決)、そして、原判決の「長部重明に対する殺人罪の成否」中にかかげてある各証拠によれば、原判決が詳細に説明しているように重明の死亡時期は美代子の死亡時期よりも後であり、従つて、重明は、被告人が前段において認定した美代子に対する殺意を生じた時はもちろん、その後かなりの時間生存していたこと、すなわち、被告人が美代子に対し殺意をもつて本件自動車の車体の下に重明を背負つた美代子を引掛けたまま運転を継続し、約三〇〇米の間美代子および重明を道路上を引摺り、その間同女を頭部外傷に基く脳震盪により、重明を頭部外傷に基く脳挫傷により、いずれも殺害するに至つたものであることが認められるから、前叙の理由により重明に対する殺人罪を構成することが明白である。
(加納 河本 清水)